GRAPEVINEのメジャーデビュー20周年の節目となるアルバム『ROADSIDE PROPHET』の発売を記念し、バンドにとって初の試みとなるリリースパーティーが彼らの地元である大阪で開催された。会場のumeda TRADはもともと別の名前で呼ばれており、関西出身の彼らがかつて大阪で初めてワンマンライブを行った思い出深い場所。
「『ROADSIDE PROPHET』リリースパーティーへようこそ!」という田中和将(vo&g)の一声でライブは始まり、オープニングはアルバムの冒頭を飾る曲「Arma」。場内を見渡し、時折笑顔を振りまきながら歌う姿は、華やかな祝祭感のある音に彩られたこの曲の持つ堂々たるたたずまいと重なって見える。「リリースパーティーって何? 普通のライブとどう違うの?(笑)」(田中)と、この日何度も言っていたけれど、2曲目に「FLY」(2007年)、続いて最新アルバムからアンニュイな曲調に西川弘剛(g)のギターがくっきりと映える「ソープオペラ」。続いて約20年前の「君を待つ間」(1998年)と見事にバンドの20年間を縦断するようなこの夜のセットリストや、通常のツアーでは考えられないぐらいの規模の会場、要するにステージとフロアが非常に近いという点だけを取り上げても、到底「普通のライブ」ではない。新曲に挟む形でプレイし、「旧バナナホールでもこの曲をやりましたよ」と紹介した「君を待つ間」は、長年愛用した衣服を身に着けた時のようなしっくりとしたなじみの良さ。時に、しれっとしてクールにも聴こえるこの曲が、20年目にして醸し出されるふくよかさを纏っているようにも感じられて、これが今のGRAPEVINEの奏で方なのだろうか。
最新作から演奏された「Shame」や「聖ルチア」には、政治的とも受け取れるある種、尖ったフレーズが歌詞の中にちりばめられていて、実際「Shame」を聴いていると、“「差別も虐待なども対岸の火事で”」や“「ひと夏の思い出 フェスなどいかがです”」など、皮肉めいた言い回しともとれるワードにいくつも行き当たる。それが、この日のライブでは、曲の持つ鋭さと同等かそれ以上にわくわくするような軽快さが際立っていた。それは、後にやった「聖ルチア」も同様で、光と慧眼の殉教者である聖ルチアから石川啄木まで、まだ他にもいたるところに道端の視点から刻み付けたメッセージを見つけられるこの曲も、現実生活の重みをフッと笑い飛ばしてしまえるような軽やかさを味あわせてくれた。つくづく部屋でスピーカーから聴こえてくる時と、ライブの場で触れる音楽ではまったく違った生命力が宿っているのだと実感させられる。対して、実に新鮮だったのは、バンド初期の代表曲であり、あらゆる世代のファンに人気の高い「光について」や後半に聴けた「スロウ」が、とても重厚に響いたこと。特に「光について」は、“光に満たされてゆくこの世界の中 何をして見ていられた?”と歌うこの曲の根底にある思いを表すかのように、ステージは真っ暗で照明はピンスポットだけ。最後に一瞬、正視できないほどに眩しい照明がステージを照らし出したのも曲を象徴しているようだった。
万雷の拍手で迎えられたアンコールでは、「1曲だけ古いヤツをやります」と彼らがメジャーデビューする前、インディーズ時代からライブで演奏している曲「Soul Foundation」を。20年以上前からあるその曲のイントロが聴こえた瞬間に大きな声を上げる人もいれば、明らかに初めてこの曲を聴くであろう人たちが、賑やかな曲に背中を押されるように手を挙げている姿も見られ、パーティの最後は盛大に沸いた。
彼らが20年間に生んできたどの曲にも、初めて聴いた時の出会い方がそれぞれにあって、その一瞬の快楽を反芻したくて彼らの音楽を聴き続けている気もするし、5年、10年、15年と聴き続けている曲がそれまでとまったく違う意味と輝きを自分に教えてくれる瞬間もある。それは、長い時間を彼らの音楽と過ごしてきたことで得られたご褒美のようにも思える。GRAPEVINEが2017年の今の自分たちを取り巻く世界を音楽で描いたみせたアルバム『ROADSIDE PROPHET』は、同じ時代を生きる聴き手である自分たちの2017年を刻んだものでもあり、リリースされたばかりのこの曲たちがこの先ライブでどんな生命を宿して、どんな出会いをくれるのか。聴き手である自分はそこから何を感じることができるのか。単純だけれど楽しみだ。曲が鳴った時、そこにある世界はどんなふうに色づくのか、そういった変化や進化を10月から始まるツアーで体感できるのを心待ちにしている。