日本人離れした歌声をもつ盲目のテノール歌手、新垣勉の音源が、7月29日にハイレゾ配信リリースされた。
新垣勉は、先月6月12日に放送されたテレビ朝日『報道ステーション』に出演し、沖縄の海をバックに「アヴェ・マリア」、「愛燦燦」などの歌唱を披露した。番組では古館伊知郎氏との対談の中で、自らを“先の大戦の傷跡”と呼び、米兵の父と日本人の母との間に生まれるも、不慮の事故による自身の失明や両親と祖母との別れといった自らの壮絶な生立ちを赤裸々に語り、その歌唱とともに大きな反響を呼んだ。
この反響を受け、新垣勉の代表曲を収録した『新垣 勉の奇跡』、そして「愛燦燦」や「アメイジング・グレイス」といった人気の5曲を厳選した『ハイレゾ体験! 新垣 勉』の2タイトルが急遽ハイレゾ配信リリースされることになった。過去にも、テレビドラマ化や中学生の英語教材にも取り上げられるなど、その半生が度々取り上げられてきた新垣勉。逆境を乗り越え、「自分にしか出来得ない生き方(オンリー・ワン)の人生を大切に」と呼びかけ、平和への願いを込めた歌が、戦後70年となる今年に再び注目が集まっている。
◆リリース情報
新垣勉 / 『新垣 勉の軌跡』
<VICTOR STUDIO HD-Music.> http://hd-music.info/album.cgi/5774
<e-onkyo music> http://www.e-onkyo.com/music/album/veahd10740/
<mora> http://mora.jp/package/43000005/VICC-60598_F/
<収録曲>
1. アヴェ・マリア〜「カヴァレリア・ルスティカーナ」より(マスカーニ)
2. カーロ・ミオ・ベン(ジョルダーニ)
3. マンマ(ビクシオ)
4. 天使のパン(フランク)
5. さとうきび畑(寺島尚彦)
6. てぃんさぐぬ花(沖縄民謡)
7. いつくしみふかき(コンヴァース)
8. 主の祈り(マロッテ)
9. アメイジング・グレイス(不詳)
10. アヴェ・マリア(カッチーニ)
11. 千の風になって(新井満)
12. 花-すべての人の心に花を(喜納昌吉)
新垣勉 / 『ハイレゾ体験! 新垣 勉』
<VICTOR STUDIO HD-Music.> http://hd-music.info/album.cgi/5775
<e-onkyo music> http://www.e-onkyo.com/music/album/veahd10741/
<mora> http://mora.jp/package/43000005/VEAHD-10741_F/
<収録曲>
1. 愛燦燦(小椋 佳)
2. アメイジング・グレイス(不詳)
3. 千の風になって新井満)
4. 見上げてごらん夜の星を(作詞:永 六輔、作曲:いずみたく)
5. 芭蕉布(作詞:吉川安一、作曲:普久原恒勇)
◆新垣勉 プロフィール
「日本人離れした明るい声。君のこの声はラテン系のお父さんがくれた宝物だ!」と名ヴォイス・トレーナー、バランドーニ氏が絶賛したその声は、深く澄み渡り聴く人の心の奥に染み入り魂を揺さぶる。愛と慈しみに満ちて聴く人々に安らぎと勇気を与え、全国に感動の渦を巻き起こしている。
1952年11月6日、在日米軍人の父(メキシコ系アメリカ人)と地元沖縄の日本人の母の間に沖縄県読谷村で生まれる。生後まもなく不慮の事故により失明。1歳の時に両親が離婚、父は本国に帰り母が再婚したため母方の祖母に中学まで育てられる。その際、祖母を母親と、実の母親を姉と聞かされて育てられた。当時は両親らに対し強い憎しみを抱き自らの境遇に絶望して、「自分ほど不幸な者はいない。いつか両親を殺害して自分も死にたい。」などと考えていた。中学2年(14歳)の時、祖母が他界、天涯孤独になる。その後、母の親戚に身を寄せるが高校1年の時に井戸に身を投げ自殺を図ったこともあるという。そんな時、ラジオから流れてきた讃美歌がひとすじの光のように感じ教会へと足を運ぶ。そこで出会った一人の牧師に今までの自らの人生を全て語った。牧師は涙を流しながら彼の話をじっと聞いてくれ、その後頻繁に自宅に彼を招き入れ、誕生会などを行うなど家庭の暖かさを教えてくれた。この出会いが彼を立ち直らせるきっかけになった。
中学生・高校生の多感な青春時代、ほのかに歌手になる夢を抱くも前述の牧師の導きで牧師になる道を選ぶ。沖縄県立盲学校〜東京キリスト教短期大学卒業後、西南学院大学神学部に進む。在学中にマリオ・デル・モナコを育てたイタリア人の名ヴォイス・トレーナー、A.バランドーニ氏のオーディションを受け、「君の声は日本人離れしたラテン的な明るい声だ。一人でも多くの人を励まし、勇気を与えることが出来るように君の声を磨きたいから私のレッスンを受けなさい。」と言われたことから本格的に声楽を勉強するようになった。西南学院大学卒業後は副牧師になった後、34歳で武蔵野音楽大学に入学。同大学院修了(音楽修士号取得)。父親からもらった声を褒められたことで父への憎しみが消え、逆に感謝の気持ちが湧いてくるようになったという。現在父親の所在及び生死は不明だが、もし会うことができれば父親の前で歌いたいし、「一人でも自分の歌を聴いて“元気をもらった”と言ってくれる人さえいれば、自分は生きているだけで嬉しい。」と父に伝えたいとその心境を語る。