昨年コカ・コーラのCMソングに無名の新人の楽曲「ハッピー・レーン」が大抜擢され、大きな話題を呼んだ、アメリカ人のヴァレリーと日本人のヒデからなる異色の男女ユニット<レイラ・レーン>が、一風変わった作曲方法にチャレンジするようだ。その方法というのが、24時間スタジオに篭もり、作曲を続ける様子をUstreamにて生中継するというもので、ヒデが極真空手の「百人組手」における限界を超えた挑戦を目の当たりにした事で、音楽家としての自らの限界に挑戦した先に何が見えるのか、どんな音楽が生まれるのかを確認する為に、限界を超えた荒行に挑むとの事である。
ヒデが尊敬する松本人志さんの「24時間大喜利」にも多大な影響を受けたという今回の挑戦、果たして限界を超えた先に名曲が生まれるのか?はたまたとんでもない珍曲が生まれてしまうのか?どちらにせよ何かが生まれる事は間違いなさそうだ。この模様は、日本時間の12/2(金)14時から下記のURLでUstreamにてL.Aのスタジオから無料生中継されるので、音楽家として限界に挑む彼らの挑戦と、そこで生まれる何かを目の当たりにすれば、あなたの中にも何かが生まれるかも!?
<レイラ・レーンの24時間作曲!限界を超えた先に何が見える!?>
http://www.ustream.tv/channel/studio-city-sound-live
■Layla Lane Official Website
http://www.avexnet.or.jp/laylalane/index.html
■レイラ・レーン
静岡県出身のHEDAYは、小学校の頃より、サザン・オールスターズが大好きな少年だった。そのザザンの桑田氏の著書でビートルズやジョン・レノンが大絶賛されているのをきっかけに、ビートルズを聞き、多くの人がそうっだたように衝撃を受け、中学、高校とバンド活動に明けくれる。高校卒業後、ビートルズのプロデューサーであり、5人目のビートルズと言われた“ジョージ・マーティン“がクラシックを学び、その要素がビートルズに表れていると感じ、自分のロックをより良くするためには、自分自身もクラシックを学ぶべきという思いから、19歳で単身アメリカへ留学する。
その後UCLA(カルフォルニア大学L.A.校)クラシック音楽学部クラシックギター科に入学。大学時代はクラシック一辺倒だったが、卒業後、自分の原点であるロックに戻ろうと、自分で作った楽曲をレコーディングするためプロのスタジオでレコーディングを試みる。そこでMIXをしてくれたのが、2004年グラミー賞を取っているミキシング・エンジニアのTOM WEIR氏だった。HEDAYの楽曲を聞いたTOMはHEDAYのストリングスのアレンジ(4重奏)に感動し、彼の才能に惚れ込んだ。その後TOMの紹介で数多くのストリングス・アレンジの仕事をこなし、スタジオ・ミュージシャンとしてのキャリアを始める。
スタジオ・ミュージシャンの傍ら、自分で作った作品を聞いてもらうためL.A.でプロダクションに電話をし、たまたま最初に訪れのが、喜多嶋修のプロダクション”EAST QUEST”だった。(喜多嶋修 : 加山雄三のいとこで加山雄三&ランチャーズの一員)喜多嶋氏の元を訪れると、お互いビートルズが好きなため話は盛り上がり、二人でビートルズの完全コピー(当時の楽器、当時の録音方法)を日本語と英語両方でやろうという企画が持ち上がった。ベース、ギター、ヴォーカルは自分で可能だが、ドラムはできないで困っていた所、TOMから紹介されたミュージシャンから”ジム・ケルトナー”を紹介してもらい、まさかの企画に賛同を得る。(ジム・ケルトナー:ジョン・レノン、ジョージ・ハリスン、リンゴ・スターのソロ時代を支えたドラマー。他にもローリング・ストーンズ、エリック・クラプトン、ボブ・ディラン、、ライ・クーダー 、ニール・ヤング共演)
レコーディング当日、完コピしてドラムだけ入れる状態に。いざジムがスタジオに入り、まずはビートルズのオリジナルを聞いてもらい、次にHEDAYの完コピ・ヴァージョンを聞かせオリジナルのようにして欲しいと依頼するも。。。
ジム : 「WHAT DO YOU MEAN?」(どうゆう事!?)
ヒデ : 「(やっぱりダメか・・・・、怒られた)
ジム :「これおまえか!?こんなビートルズに近いやつ聞いた事がない。オマエの声はジョージやジョンにそっくりだ。歌い方とか。アメリカ人でも彼らみたいに真似る奴がいるけど、オマエみたいなのは聞いた事がない」と、ジムが大絶賛し、セッションは大成功で終える。後日、ジムにオリジナルを聞いて欲しいとCDを送ると、ジムから突然電話がかかってきて「オマエのCD聞いたけど鳥肌が立った。車運転していたけど、止めて聴き入ってしまった。何かわかんないけどオマエの音楽には、リズムといいソウルが溢れている。とにかくスゴい!」とセッションに続き、オリジナルでも最大級の評価をもらう。
そして2年前の夏、ビートルズの名作アルバム「REVOLVER」のジャケットを手掛け、ベーシストとしてもジョン・レノンのイマジン等に参加している”クラウス・フォアマン”(ビートルズが有名になる前からの友人)が70歳の記念のドキュメンタリー・フィルムを作るあたってL.A.で旧友を集めてセッションする撮影が行われた。
ジムと良い関係を築いていたHEDAYは、ジムから誘われいざその会場に行くと、その場にはリンゴ・スターやイーグルスのジョー・ウォルシュらその他ロック界のレジェンドが大勢揃い、平均年齢60歳以上の中、遠くアジアの日本から来た20代の若造が一緒にセッションする事になる。夢のようなセッションを終え、その後も、ジムから50年代のエルビス・プレスリーと並ぶロックン・ロールのLEGEND“ジュリー・リー・ルイス”とのセッションの仕事が舞い込み、スタジオ・ミュージシャンとしてのキャリアを重ねる。
そしてUSC(南カルフォルニア大学)でクラシックピアノの修士(マスター)を持つ、ヴァレリーと出会い、同じクラシック経験者でビートルズ好きという共通点から2名のバンドを結成する。
時を同じくしてL.A.のスタジオにて、レコーディングに来ていた放送作家兼ミュージシャンと出会い、ビートルズ好きで意気投合、その後も交流を深め、日本にHEDAYが帰って来た際も幾度となくビートルズについて熱く語り合っていた。そんなある日、彼に呼ばれ食事に行くと、そこには偶然コカ・コーラの宣伝担当者がいた。音楽への熱いおもい、夢を語り、ギターを持っていたHEDAYは彼らの要望で何曲か披露する事になる。食事をして別れた直後、その作家の所に宣伝担当者から連絡があり、突然コカ・コーラのCMにHEDAYさんを使いたいとオファーされる。
その担当者はHEDAYの話に熱心に耳を傾け、10代の頃に持っていた夢のために留学したこと、数々の有名人とセッションし、ジム・ケルトナーに認められリンゴ・スターと共演した事、そして自分の将来の夢に向かって走っているHEDAYの姿に、何とも言えない、ジムがHEDAYの音楽を最初に聞いた時のようなショッキングで魂を揺さぶられるモノを感じた結果、当時関わっていたコカ・コーラの仕事をオファーしたのであった。
レイラ・レーンは日本人とアメリカ人の異色ユニットであり、ビートルズとフランス・ギャル(60年代を中心に活躍したフランス歌手。『夢見るシャンソン人形』などがヒット)を掛け合わせたような雰囲気を持つ、次世代を象徴するバンドになる日は近い。
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