植田:両親が歌うのが凄く好きで、というか単純にカラオケ好きなので(笑)、それにつられて当時流行っていたヒットソングをひたすら聴いていましたね。具体的には90年生まれなので、小学校一年生くらいの時で宇多田ヒカルさんとか、浜崎あゆみさんとか、あと小室さん系の曲も聴いていました。ともかく当時流行っていた曲は、全般に聴いていました。
植田:中学校三年生の時に友達とバンドを組もうということになって、遊び半分ですけど、エレキギターを弾いたのが始まりです。
植田:そうですね。「ロック・バンドをやろう」だったのでエレキです。私は従兄弟に借りたレスポールで練習しました。
植田:そもそも子供の頃から歌手になりたかったので、早めに上京して歌いたかったのです。それで当たり前のように、東京に行くつもりでした。でもたまたま大阪のレコード会社と話が繋がったので、その関係で大阪に行くことになったのです。
植田:両親は凄く心配したと思います。でも小さい時から「歌手になる」って言っていたので、応援もしてくれていて、私がそもそも歌を歌い始めたのが両親と頻繁に行くカラオケなので、そういうこともあって結局最後は応援してくれました。
植田:そうですね(笑)。「アナタが頑張れると思うのなら、頑張りなさい」みたいな感じでした。もちろん私も、一刻も早く世に出ていきたいという気持ちが強かった。
植田:最初のライブではカバー曲を歌いました。サディスティック・ミカ・バンドさんの「タイムマシンにお願い」やaikoさんの「be master of life」を歌いました。
植田:今までやっていたことと違うことをどんどんやりたくて、本格的に活動する上では植田真梨恵の曲がないといけないだろうと凄く思っていました。本当はレコード会社と契約して大阪に出てきたという意識が強かったので、曲とかもどんどん出来てきて、自動的に軌道に乗っていくもんだと、勝手に考えていたのです(笑)。でも、そんなことあるはずもない(笑)。「じゃあ自分で作らなきゃ」っていうことで、ギターで曲を作って、弾き語りで歌いました。
植田:今はピアノも使いますけど、基本的には頭のなかでメロディをしっかりと作って、キメ込んでしまいます。それをギターにのせたり、ピアノにのせたりしています。
植田:小さい頃は全く習い事をしてない子だったので(笑)、ピアノも全くやっていなくて、大阪に来てから、高校時代に習いました。なんとか弾き語りは出来ますけど、下手くそです(笑)。
植田:ライブハウス専門で、私はストリートではやったことはありません。
植田:それが怖かったですね。特に大阪に来てから友達がいなかったし、ライブに誘う相手がいなかった。チケットのノルマが20枚とか30枚とかあったのですが、それを買ってもらえる相手が一人もいないので、どうしたもんかと悩みました。マネージャーさんに毎回「売れていません」って言うのが凄く辛かったです。
植田:確か京都だったと思いますけど、二人ですね。たまたま呼ばれたイベントでトップバッターだったのですが、全然人がいなくって、「これやるんですか」みたいな感じ(笑)。
植田:そんなにありました(笑)?
植田:そうですね。本当にありがたいことです。
植田:これは大阪に出てきてすぐの頃に作ったもので、初めてフルサイズで書いた曲も入っています。当時は曲の作り方が全く分からないまま、私はこれでいいのかと自問自答しながら曲を書いていたのですが、それらがガッツリと収録されているアルバムです。タイトルのコッペリアというのはバレエで有名なコッペリアではなくて、ジャケ写で私の足元に寝ているヌイグルミの名前です。このクマのヌイグルミがコッペリアなんです。私が小学校一年生の時に凄く仲良しの女の子がいて、その子が夏休みの自由研究でクマのヌイグルミを作ってきて、それがコッペリアという名前でした。私はその子がコッペリアを作っているのを見ていて、手作りでもこんなに素敵なモノが作れるんだというのに驚いて、私もモノを作るのが好きだったので、それから手作りにもっと興味を持つようになったのです。だから創作意欲の象徴みたいなモノとして、コッペリアの名前を使いました。あと大阪に来て、友達もいなかったので退屈していて(笑)、そこから創作が生まれるという意味もあります。
植田:まず単純に、梅の花が凄く好きなんです。このアルバムの当時は18歳ですが、もうそれは子供が産める年なんですよ(笑)。
植田:正確には16歳から結婚して子供も産んでいいという事実に、凄くびっくりしたのです。自分自身には実感が湧かないけど、でも周りの友だちを見てみると確かに子供を産んだ子がいたし、それに改めてびっくりしたのと、「私でも子供が産めるのだ」という驚きから「U.M.E.」という名前をつけました。だからジャケットでも牛のミニチュアを使って出産をイメージしています。ただ私が産むのは、子供じゃなくて楽曲ですけどね(笑)。
植田:これはわりとコンセプチュアルなネーミングで、この時には曲が沢山溜まってきていて、レコーディングも録り溜めていたんです。その中から特に自分の心の闇を歌ったものとか、寂しいとか暗い部分を歌ったものを敢えてまとめたアルバムです。リード曲になっている「未完成品(スケッチー)」は、その他の曲たちが集まってきたところに書き下ろした一曲で、19歳だから大人と子供の間で揺れ動くみたいな、ありきたりなことですが、そういうものをテーマした曲です。
植田:これが初めてのフルアルバムです。ある意味私のベスト盤ともいえるもので、インディーズでやってきたものの集大成を作ろうという思いで作りました。シングルで勝負していきたいと思えるくらいの気持ちで書いた曲を集めてあります。その分、振れ幅も強いし、私の中では一番POPなアルバムです。植田真梨恵入門編にはドンピシャで、これでハマらなかったらダメだ(笑)、と思います。
植田:これはインディーズのラスト作です。最初シングルを作ろうという話になってのですが、私は「今どき、シングルCDは売れないんじゃないの。私なら買わない」って勝手に思っていました(笑)。だったらシングルの名目で3枚入れちゃおうとなった。この「心」「S・O・S」「サファイア」というのはサンリオさんとのコラボで、ゲームに起用されていたりする楽曲です。そういう意味では、どれもシングル・カットで問題ない曲ということで、一緒にまとめてみました。
植田:私はインディーズのロック・バンド「Hi-STANDARD」が大好きなんです。横山健さんというギタリストがいらっしゃる3ピースバンドで、そもそも最初に手にしたエレキのレスポールも横山さんが弾いていたからです。それでブログのタイトルに、その「Hi-STANDARD」のHiを入れようと思った。あと自分が16歳だったので、「16」が入っている。最後は問題の「パンティー」なんですけど(笑)、当時家の近くに世界から集めた雑貨を売るお店があって、そこの品揃えがメチャメチャ可愛くて、しかも色々な国から集めてきたパンツをたくさん取り扱っていた。私はそれを集めるのが、めちゃくちゃ趣味だったので、そこから出てきたのがパンツですね(笑)。私自身は「パンティー」という言葉は絶対に使わないけどなぜかパンティーとなって(笑)、それらを語感で並べて「パンティー16High」になったのです。自分としてはちょっと可愛いかなって思うブログタイトルで、深い意味は全然ありません。
植田:「せんせいフィックス・ミー・ナウ」です。これも口滑りだけを活かして作ったタイトルで、深い意味はありません(笑)。
植田:それはZipperというファッション誌に連載されたものです。私が中学校時代から凄く憧れていたファンション雑誌で、ラッキーにも連載を持たせて頂きました。それで連載するならどんなものがいいかなと考えて、そもそも私はコラージュがすごく好きなので、ページ1枚をコラージュで作りました。
植田:そうですね。女の子の雑誌なので、ここで私を知ってくれて来てくれた人もいるかもしれないですね。
植田:最初はそうですね。それで途中から、東京でもワンマンで出来るようになった。
植田:まだやっていません。本当は早くやりたいんです。福岡を出てから7〜8年経ちますから、みんな私のこと忘れていると思う(笑)。小中学校の同級生は沢山いるので早くライブやって「あー、この人まだ活動していたんだ」ってならないといけませんね。
植田:そうですね。今でも応援してくれている子もいるし、もちろん両親や家族も含めて、早く顔を見せたいですね。
植田:今はやっていないですけど、かつては神戸とか関西エリアのラジオをやらせていただきました。
植田:そうなんですよ。ですから九州から出て行って、私は大阪の女になってしまった感じなんですよ(笑)。
植田:特に九州の人は九州が好きだから、これは寂しいことでもあるんです(笑)。
02.ダラダラ -demo-
03.アリス
04.彼に守ってほしい10のこと(-Off vo.-)
シングル
発売日:2014.8.6
GIZA
GZCA-4140
1,200(税抜)
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